株式会社清心工業 ~人たるの道を守る~【ご紹介】
本日は、玉野市でご活躍中の
株式会社清心工業の
木村 清児 社長にインタビューをして参りましたので
その内容をご紹介させて頂きます。
【 会社紹介 】
●会社所在地
株式会社 清心工業
岡山県玉野市後閑1-52
●業務内容
(造船部門)
船舶エンジン組み立て
精密機械組み立て
船体組み立て
船体艤装(ぎそう)等
(機械類、設備の船にといる付ける工程)
組み立てしたエンジン、機械等は
世界中にも輸出をしており
数多くのユーザーさんの元に届けられ
広い地域でシェアを獲得されております。
(土木部門)
下水道工事・法面工事
コンクリート建造物組立・修繕工事
基礎工事等
現場1人1人がコミュニケーションを大事にされ
危険予知を行い、より安全安心に作業を行い
卓越された技術を生かし様々な工事を行っておられます。
※詳細内容は各リンクまで。
●全国誌 「PLUG Magazine」
に玉野市の紹介として掲載されました。
玉野市を代表する企業として
自らが生まれ育った町を愛し
数多くの町おこしのイベントも手掛けられておられます。
毎年その他200人規模の忘年会を行うなどもされて
おられます。
現在の今後の目標として
なんと玉野市 出崎海岸のリゾート化をご計画
されておられます。
今後の玉野市の発展が益々楽しみになります。
ご自身がナビゲーターとして
玉野市をご紹介もされておられますので
是非こちらも閲覧ください。
【 設立27年のこれまでについて 】
設立して27年目 木村 清児さんの
波乱万丈だったこれまでの人生の軌跡を
教えて下さいました。
お若い頃より数多くの苦労を経験され
19歳より経営を始めた
そんな木村さんのこれまでの精髄を
ご紹介させて頂きます。
● 幼少期~小学生時代
玉野市南西 向日比(むかいひび)
海に面し気候穏やかなこの地で生を受けられました。
幼少期は厳格なお父様の元で育ち
ご家庭内では厳しい教育を受ける日々を
送っておられました。
その結果、普段からできる限り怒られる事を避けるために
家庭内や学校内においても
自然と笑顔を繕うようになっていたそうです。
そんな日々が続いたある日…
(Episode1)
~ いじめられっ子から 人気者へ ~
当時転校して間もない小学校で同級生より
からかわれ次第にその内容は、エスカレートし
身体的にも精神的にも傷を負う程まで辛い思いをされ
転校後10日ほどで不登校に
その後、訪問された担任の先生とご両親の話し合い、
相手生徒と双方両親の話し合いの結果
事は収まりそこからも普段どうり学校へ行く事が
できたそうです。
その出来事以降、木村さんが
学校や地元界隈でちょっとした人気者になられたようです。
そこから生活習慣が変わり学校生活では気分転換を行い
家庭内では、引き続き怒られないようにするという生活が
続いたそうです。
● 中学生~高校生時代
中学へ上がると猛勉強をされ
テストの結果で1番を目指してみるなど好奇心旺盛で
身長もすでに180㎝と大人顔負けの高身長で
スポーツマンだった木村さんは、
剣道部、野球部、陸上部など引っ張りだこに
なっておられたそうです。
中学3年生になられた頃
家庭環境の事も考え
進路について期待をしておられなかったため
日当5000円の産廃場でバイトをされるなどの
日々を送っておられ
その稼いだお金で学校の同級生に
ハンバーガーを御馳走されたりしておられたとの事。
この頃から、
人の笑顔、楽しい顔を見るために何かしてやりたい
という気持ちが芽生えたようです。
(Episode2)
~ 起業一年生のスタート ~
進路を選択する時期が来た頃担任の先生の勧めもあり
高校は消防士を目指せる学校への進学を決意するも
ご両親が離婚。
その頃究極の選択をされた木村さんは、
お一人で生きていく事を決断され
志望校への進学を
あきらめ定時制(4年制)の高校へ進む事に…
そしてそこから厳しい新生活をスタートされ
様々なご事情で
住む家なし、学費をご自身で稼ぎながら通学
あらゆるバイトを重ね仕事と学校の往復を繰り返されておられました。
途中から生徒会長をご経験されつつ
学校での生活も同時に送られるようになり
そんな高校生活を続け高校は無事卒業。
バイトを重ね
高校生時代で貯めたお金はなんと、250万。
高校2年生の時からお父様の仕事場であった産廃業で
お勤めなさっておられご自身でやっていくため
その資金を元手にダンプカーを購入されたとの事。
それが19歳にして起業1年目の新たな
スタートでした。
● 会社設立~設立10年目
起業1年後世の中が不景気な事もあり仕事が激減。
周囲からも冷たくあしらわれてしまい
自身の甘さと世間の厳しさを痛感されたとの事。
その後仕事を得るため
駆け回る毎日送っていた時、とある建設会社より
土建業のお誘いがあり高校時代のご友人お二人と
土木のお仕事を始められました。
土木のお仕事は奥深いようで
何百という工種、工法があり図面を見て
一つのものを作り上げることに苦労されたとの事。
当時、特にご自身より年齢が下の大学卒の方からの指示を受け作業を行う事が多く
その方の作業(測量など)をしてもらわないと次の工程に進めないという事象があり
ご自身のペースや考えで作業進行をできないところに憤り、不甲斐なさを感じておられたようです。
その結果学生時代の勉学の遅れを取り戻すため
一から算数や数式の勉強、毎週日曜日に学校に通うなど
もの凄く勉強をされその結果
1級の国家資格、管理技士の資格を習得され
気づけば資格取得が趣味になっており資格マニアにまでなっていったそうです。
そんな折離れて生活をされていたお父様と再会
その時既にお父様は再婚され新たな家庭で
共に生活することに。
当時お父様も会社を運営されており
共にお仕事をされる事も。
そんな矢先不景気で土木の仕事が激減
既に社員は、6名ほどおられ
工事現場に突撃訪問をして仕事を頂けないか
お願いをされるなど当時情けないという気持ちと
なんとかしなくてはという気持ちでいっぱいであったようです。
(Episode3)
~ 苦悩の末 清心工業の新たな道へ ~
仕事の受け口を探していく中
当時交際されておられた彼女さんのお父様が
製造業の主任をなさっておられたとの事で
社員の方と現在のお仕事の柱となる
造船エンジンの組み立てを
携わることに。
しかし直接依頼元からの口座は実績がないのでもらえず
どこかの協力会社を通さなければいけなかったため
まずは、ある会社の下請けとして従事することに。
ただしこの一件が後に木村さんにとっての
大きな障壁になることに…
その後彼女さんと25歳の時にご結婚され
父と再会をし生活をされておられた実家も
1年で出る事に。
仕事も定着し造船部門のお仕事も認められ
社員の方も少しずつ増え
土木の仕事も回復していき
製造業、建設業の二刀流で
運営できるようなっていったそうです。
と、その頃より不穏な動きがあり
ご実家に外車が納車されていたり、ペットショップが
できていたりお金がある事に不思議に
思うようなっておられたとの事。
(この後の出来事の全てはここでは、
割愛をさせて頂きますが
一部だけ記載させて頂きます。)
この一件で大きな裏切りに合い
真実を知った頃ご自身の会社の経営権や金銭面で
あらぬ方向に問題が波及しており意気消沈され
呆れ果ててしまったとの事。
幼少時代から木村さん事を
いつも何かと気にかけておられたお祖母様も
泣きながら心配をなされる程の事だったようです。
その一件で、社員の方々と真剣に向き合う機会もあり
意見を聞いた当時の14名の社員皆さんは口を揃えて
「もし会社を木村さんが辞めるなら辞める」
と言っておられたそうで
そんな全員一致の気持ちを知った木村さんは
改めて本当に感謝をされたと同時に
社員全員のためご家族のためもっと躍進していくと
深く深く決心をされた29歳だったようです。
それが当時の
15名で株式会社 清心工業 様の新たなスタートを
迎えることになったそうです。
●設立12年目~現在に至るまで
製造業、建設業共に波はあったようですが
社員の方も増え安定して経営ができておられたそうで
社員さんもスキル向上を図るなど
頑張っておられたようです。
しかし会社として利益はそれ程多くはなかったため
頑張っても収入として配当できるには、限りがあった
そうで生かさず殺さずの状態だったとの事。
社員の頑張りも現場で共に仕事をされながら
傍でみておられたので頑張った分
給料もあげたい。
そんな思いから現場の疑問に注視されるように
なれたそうです。
当時仕事は、造船本体の企業の方と打ち合わせをされ
値段を決め仕事をこなしていたそうです。
しかし1000万と金額を決定しても『二次会社』
だったため『一次会社』に入金され15%程手数料がその会社に落ち
入金される金額は850万になっていたそうです。
仕事自体は会社で全てやっているにも関わらず
その不当さに対し納得がいかない状況であったそうで
一次会社の社長へ直談判。
結果、土地柄のしがらみや業界でやっていくためのルールに従いなさいという話で返され
その後横並びの同じ二次会社に呼びかけをし
自ら打って出て一次会社も目指す話をされたようですが
周囲はすぐにアクションはしなかったようです。
引き続き何度も何度も上部のさらに上部へと
アポなしで直談判や手紙を送るなど
5年間もの歳月を戦い続けておらたようです。
(Episode4)
~ あきらめずにやってきた結果 そして ~
5年間もの歳月を戦い続けしつこく
思いを伝えに造船本体の企業の役員の方へ
何度もアクションをし続けた結果
10人の役員の内2人の役員の方が
木村さんの情熱に答えられ
やっと状況は動き出し
ある7つの条件も満たすこと福利厚生関係、
資格等を取得するなどを引換えに
一次会社(元請け会社から直接仕事を受注できる)に
上げてもらえる事を約束。
木村さんが
常識、ルールやしきたり、しがらみを打ち破った
瞬間でした。
あきらめずやり続け、希望を持ち取り組み
無事一次会社へ
直接口座の獲得の瞬間でした。
5年の戦いを終え自由に仕事ができ営業もでき
頑張った分だけ社員にも還元できる喜びを
味わわれたそうです。
木村さんとともに戦ってきた社員の方々
いつもそばで支えてくれていた家族に感謝し
現在も日々お仕事に励まれておられるそうです。
以上
株式会社 清心工業
木村 清児 社長へのインタービュー記事です。
閲覧頂き有難うございます。